BAND

MONO〜CHELLTLANBIRDSの歴史


2007年10月27日
CHELLTLANBIRDS、初の東京遠征ライブ。TMGE live night!! Vol.2に出演。
東京に降り立った途端大雨。その日は関東一円に台風が直撃。出鼻を完全に挫かれる。
が、そんな悪天候にも関わらずイベントには述べ94人もの人が来場。客席の殆どは知らない顔という状況をものともせず、1年半の活動の成果を出し切って大満足のライブとなった。
ちなみに、自分達のライブが終了して僅か15分後には、ジョニーが酒をしこたま飲んでバースト。
2007年3月〜9月
ライブの無い静かな期間が半年近く続くものの、練習は定期的に行う。夏は各々フェスに行ったりも。
5月、ジョニーが結婚。マツオは二次会にギターを持ち込み「乾杯」を熱唱。
ほぼ同時期、関東TMGE live night!主催者側より出演のオファー来る。「行きまーす」返事が軽い。
それ以降はイベントに向けて練習の日々。まだあと半年近くある…と余裕気味に練習していたらあっという間に夏が終わり、全員焦る。
ちなみに、10月までHPの更新はいっさい無し。ネタが無かったとはいえ、イチ反省。
2007年2月
EVER-STRIKE主催イベントにて、07年最初のCHELLTLANBIRDSライブ。今回ついに全員がスーツでステージへ。さらに入場SE「荒野の1ドル銀貨」も使用し、(演奏以外の)コピーぶりが増す。スーツ姿について一番多かった感想は「ブライアン細すぎ。」 ほんとに細い。
色々な人から「オリジナルやらないの?」と聞かれるも、全部曖昧な返事で返す。ちなみに、相変わらずバンド名を読めないスタッフ続出。
打ち上げでは、最終的にマツオ以外全員が熟睡。またしても寝顔を盗撮される。
ジョニーがプライベートで忙しくなるため、活動が若干落ち着く予感。
2007年1月
06年8月に解散したEVER-STRIKEの復活イベントにCHELLTLANBIRDSも出演が決定。「今度こそ、今度こそ早めにセットリスト決めてしっかり練習しようぜ」と言いながら、結局決め忘れて帰る。年明け早々グダグダぶりを露呈。その後の練習で決めても、さらにその次の練習で「やっぱこうしようぜ」と言い、最終的な決定に3週間かかる。
練習後のテンションが変な方向に向かい、結成1周年を目前にしてようやくまともなメンバー写真を撮る。ジョニー、カメラマンに目覚める。
イチがついに成人。
2006年12月下旬
12月10日のライブで06年CHELLTLANBIRDSのライブ活動は終了。最初に言っていた「このバンドはたぶんライブしない」という考えは、既にメンバーの頭に無い。
年越しを目前に迎えた29日、「この1年の記録や」と言って、バンドで初の1発録りに挑戦。出来上がったものを聴いて、結成直後の頃からの成長を実感し、07年も更に成長することを誓う。
その後のメンバー4人による忘年会では、開始1時間もしないうちにイチが酔って熟睡。寝顔を盗撮される。後日、メンバーに「ほんとすいませんでした」と謝る。
2006年12月
初の2週連続ライブに臨む。渋すぎる選曲が自分たちにはまだ早いと実感したり、イベントに誘われて「自分たちも早くイベントやりてえぜ」とムラムラしたりする。相変わらず直前になってセットリストを変えるなど、行き当たりばったりの活動ぶりを見せ付ける。

ブライアンが12月3日のライブでギターデビュー。(音量極小)
イチ、他のメンバーより一足先にスーツを作る。
マツオが12月10日のライブの打ち上げにて、「今日誕生日やねん」とカミングアウト。言うのが遅い。
この時期から前後して、ジョニーの発言に「萌え〜」が増える。
ノリで決めた「CHELLTLANVERS」の綴りを「CHELLTLANBIRDS」に変更。ライブハウスのスタッフに「何て読むんですか?」と聞かれる。
2006年11月
バナナホールでのライブから色々と反省し、メンバー各々スキルアップに努める。バンドとしての確実な成長を実感。相変わらずコピーを繰り返す中、12月に2本のライブが決定。レパートリーも増やしていたので、ライブに間に合わせるように更に練習に熱が入る。
練習後のミーティング中、「MONOというバンドは既に居る」という理由から、バンド名を変更することに。相変わらずくだらない案が飛び交いつつも(「ピョンヤンズ」など)、どうにかこうにか「THE CHELLTLANVERS」という案で全員一致。気持ちを新たに再スタートを切る。
2006年10月15日
バナナホールでのフリーライブイベントに出演。予想通り出演バンドの中では若干浮き気味。
自主企画イベントとの違いを実感。各自で反省点の多いライブになったが、それにより「もっともっと上手くならんといかん」と奮い立つ。そして今後予定が(相変わらず)全く無いにも関わらず「早くライブがしたい」と言い出すのであった。
ちなみに、ブライアンがこのライブでタンバリンデビュー。
2006年9月
TMGE live night!」第2回企画は予想通り出演バンド募集の段階で難航を極め、進行なし。仕方が無いので、とりあえずライブでやりたい曲を(主にイチが)(勝手に)選び出し、メンバーに練習を強要。結果、どうにも中途半端な完成度のレパートリーが増える。「やっぱ一気に増やしすぎか」などと言い出す。
ふとしたことから10月に梅田バナナホールでのフリーライブイベントに出演することが決定。自分達で決めておきながら、意外とすぐライブが迫ってきて焦る。
2006年8月
イチが参加していたオリジナルロックバンド「EVER-STRIKE」が解散。バンドの解散という喪失感を経験するとともに、これからMONO一本になることへの気合を入れる。
なかなかメンバーの都合がつかずに練習も少なくなるが、そんな中で「TMGE live night!」第2回の企画を開始。出演バンドの募集に動き出す。目指すは年内の開催。
2006年7月
ライブ後の休憩にしては長い、1ヶ月のオフ。イチはついに髪をバッサリ切り、ブライアンはそれをフォローするかのように髪を伸ばし、マツオはベースをリッケンバッカーに持ち替え、ジョニーは派手な頭でフジロックに参戦。休み明けの練習では、全員が2学期デビューしたみたいになる。
2006年6月25日
TMGE live night!」第1回をアメリカ村PIPE69にて開催。MONOにとっての初ライブ。緊張もあったものの、ライブが終わってみればメンバー全員が大満足でイベント終了。「スタジオで遊ぶバンド」という名目もどこへやら、「またやりたい」と思えるライブになった。
そしてMONOは次なるステージへ…。(と言いながらも予定は全く無い) 
2006年5月
イベントの開催が決まってからは練習にも熱が入る。そんな中、「イベントが終わったらどうするか」という話が挙がる。もともとイチマツオの2人時代からスタジオで遊ぶためのバンドであることに変わりはないので、改めて、イベント後も活動を継続することが決定。メンバー間の結束がより一層高まる。
2006年3月
企画開始から1ヶ月を経て「TMGE live night!」の開催が決定。それに伴い「THE 四暗刻ズ」はまずかろうということで、練習後に再びバンド名会議が開かれる。前回よりマシな名前が挙がるものの、やはり収拾が付かず(「概MGE」など)、またイチが絶対の自信を持って提案した「MONO」でゴリ押し決定。メンバーを無理矢理納得させる。
名前の由来は「モノマネのMONO。 あと、あの消しゴム好きだし。」
2006年2月中旬
バンドのメンバーが揃った喜びで舞い上がったイチが、2回目のスタジオを待たずして、かねてから考案していた「ミッシェルのコピーバンドを集めてミッシェルの曲だけを演奏するイベント」の実現に踏み切る。
他のメンバーも賛成し、バンド内のモチベーションも上がる。
2006年2月上旬
そしてついに4人揃って初のスタジオ入り。特に事前に会って話すことも無いといって初対面の状態でスタジオに入ったものの、全員が驚くほどに噛み合う。「波長が合ったんだよ」とイチは語る。
スタジオで演奏している時点で「このメンバーでいける」と全員が確信、練習後のミーティングにて、全員一致で2人の加入が決定。イチマツオが出会ってから8ヶ月を経てついにバンドとして成立する。

バンドとして成立したのをきっかけにバンド名を考えよう、となったものの、全員が好き勝手に提案して収拾が付かず(「ヨンボマスター」など)、イチが自分の提案した「THE 四暗刻ズ」でゴリ押し決定。ふざけすぎだろうと思いつつも、これがなぜかメンバーの友人などには好評だったらしい。
ちなみに、メンバーで麻雀を知っているのはイチだけであった。
2006年1月
1月中旬、そろそろ歌うのも疲れてきたイチが「ボーカルだけでも見つかれば」とmixi内でVo、Drの募集を開始。あまり期待していなかったものの、4日でジョニーから連絡が来る。ジョニージョニーブライアンとミッシェルのコピバンをやっていたため、一気にボーカルとドラムが見つかる。
2005年12月
それまで中津や福島辺りのスタジオに転々と入っていたが、中津に「STUDIO MAX」がオープンしたのをきっかけに、そこをホームグラウンドとする。場所が変わるだけでやることは変わらず、メンバー募集も特にすることなく新年を迎えることになる。
この頃からイチは「コピーバンドを集めた祭りを開催したら面白そうだ」と考え始める。それに伴い、「メンバーを増やしたい」という考えも大きくなりつつあった。
2005年7月〜11月
Vo&Gt イチ、Ba マツオ、ドラムはマツオが製作という形式で、月に2、3回ペースでスタジオ入り。マツオが勝手にドラムパターンをどんどん作り出し、最終的にレパートリーが30曲近くまで増える。
ボーカルとドラムを探そうかという話も何度か出るが、お互いに募集をめんどくさがって結局メンバーは増えず。
ちなみにこの頃マツオは他にもいくつかのコピバンに参加。が、知らぬ間に辞めていたらしい。また、その中のメンバー募集で、ブライアンとも連絡を取り合っていた事が後に発覚(実際に会う前に話はなくなったらしい)。
2005年6月
「スタジオでミッシェルのコピーをする遊びバンドを組もう」と考えたイチがメンバー募集でマツオと出会う。
とりあえず2人だけでスタジオに入り、マツオがドラム音源を作ってイチがギターとボーカルを兼任。ドラム音源がG.W.D.しか無かったため、2時間ひたすらがなる。「正直しんどかった」と後にイチは語る。
mixi … 招待制のコミュニティサイト。既に参加している友人に招待してもらわないと参加できないシステムで、参加者は全員「友人の友人」になる。現在では参加者も200万人を越えるらしい。MONOメンバーも全員参加している。